斉明天皇は中大兄皇子、大海人皇子(天武天皇)の母。661年、朝鮮半島の百済を救援するために遠征していた朝倉宮(福岡県)で亡くなった。中大兄が指揮する日本軍は663年の白村江の戦いで、唐・新羅連合軍に大敗。665年には妹の間人が亡くなった。大田は中大兄の長女で、大海人の妻。2人の子を残して若くして亡くなり、667年2月に斉明、間人を合葬した陵の前の墓に葬られたと日本書紀が伝える。
わずか6年で最も親しい3女性を相次いで失った中大兄が、都を飛鳥から近江大津宮(大津市)に移したのは、3人を埋葬した翌月だった。牽牛子塚、越塚御門の堅固な構造に、前園実知雄・奈良芸術短大教授(考古学)は「飛鳥を去る前に、親しかった女性たちの墓をしっかり造りたかったのだろう」と心境を思いやる。
大田の墓とみられる越塚御門。牽牛子塚に向かう道から遠目に見ると、牽牛子塚に抱かれているかのようだ。大田は斉明の初孫だった。
奈良県明日香村の牽牛子塚古墳(7世紀後半)の隣接地から、孫の大田皇女(おおたのひめみこ)の墓とみられる古墳が見つかったと、村教委が9日発表
斉明天皇陵の前に大田皇女を葬ったとする「日本書紀」の記述と合致し、牽牛子塚古墳が真の斉明陵であることが決定的となった。宮内庁は、南西に約2・5キロ離れた車木(くるまき)ケンノウ古墳(同県高取町)を斉明陵に指定しており、指定のあり方を巡って論議を呼びそうだ。
645年大化の改新、天智天皇、天武天皇は有名な天皇です。
宮内庁と科学的な論争はどうなるんでしょうか??


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