2010年10月23日土曜日

日本3大奇祭 その2 黒石寺蘇民祭

旧暦1月7日夜から翌日にかけて行われる蘇民祭sominsai)は、厳寒積雪の中で行われる裸の夜祭りで、修験道の性格をもった寺の名残を残している。平成14年は、2月18日~19日に開催された。

蘇民祭は、薬師信仰千古の歴史にのっとり、五穀豊穣と災厄祓いを願って、裸参り、柴燈木登(ひたきのぼり)、別当登(べっとうのぼり)、鬼子登(おにごのぼり)と続き、祭りのクライマックス・蘇民袋争奪戦に至る水と炎の織りなす勇壮な裸祭りである。江戸時代後期に傑出した紀行文を多数残した旅行家・菅江真澄(すがえますみ)は、蘇民祭を見て「世に珍しきあらがい祭りなり」と記している。現在、国から記録保存すべき無形民俗文化財に指定されている。


黒石寺(kokusekiji)


岩手県水沢市にある黒石寺(こくせきじ)は、天台宗の古刹で、「くろいしでら」ともいう。山号は妙見山。729年行基菩薩の開基で、当初は東光山薬師寺と称したが、延暦年間の蝦夷征伐の戦火に遭って寺は焼失した。

807年飛騨の工匠が方七間の薬師堂を再建し、849年慈覚大師円仁が復興して妙見山黒石寺と改名した。
最盛期には伽藍48宇を数えたといわれる黒石寺も、1261年の野火、1590年の戦火、1840年の祭火に見舞われ、1881年にも火災に遭って伽藍の一切を焼失した。
本堂と庫裏は、1884年に再建されたものである。本尊は薬師如来坐像で、胎内に862年に作成された記があり、古代東北の仏教信仰を伝える貴重な例となっている。薬師如来坐像は、1957年国の重要文化財に指定された。


裸参り(夏参り又は祈願祭)

午後10時から厄年連中、一般祈願者、善男善女が角燈と呼ぶ提灯を持ち、雪を踏みしだいて瑠璃壺川(るりつぼがわ 山内川)に入り、水垢離をして身を浄め、「ジャッソー・ジョヤサ」の掛け声で、薬師堂、妙見堂を巡り、五穀豊穣、災厄消除の祈願を行う。
これを3度繰り返す。フンドシをしている人も3度目の水垢離にはふんどしを外すのが作法だった
らしい。 ジャッソーは「邪正・邪<よこしま ジャッ>を正<ただす ソー>」、ジョヤサは「常屋作・とこしえの住まいを作る/家内安全」という意味だという。
凍えるばかりの冷たさである。3個の桶を使って水垢離をとる間、カメラマンや観光客のシャッターがひっきりなしに切られ、ストロボが光り、裸体が闇に浮き上がる。寒くて体が震えている人もいる。
夏参り




蘇民袋争奪 
薬師堂では早くからいい場所に陣取った裸男たちが「ジャッソージャッソー」と景気の良いかけ声をかけ、盛り上がっている。特に外陣と内陣の間に立てられた格子が特等席で、裸男たちがとりついて溢れ、見物客も群がっている。午前4時頃から小間木(こまぎ 蘇民将来(そみんしょうらい)=護符)を入れた蘇民袋の争奪戦が始まる。
蘇民袋は麻布でできており、その中に小間木と呼ばれる長さ1寸(約3cm)の六角形の護符が五升舛山盛り分入っている。小間木は桂の木の一年目の若枝で作る。
六つの面には蘇民、将来、子孫、門戸、☆、黒石寺、が印されている。
麻袋は素裸の小刀を持つ親方により切り裂かれ、小間木が床にばらまかれる。裸の群衆が群がり、堂内は熱気に包まれ、騒然となる。







深夜、徹夜で長時間厳寒の雪中で繰り広げられる裸の祭り、蘇民祭。見物するだけでも容易なことではない。奇祭は、長い間、素っ裸で行われてきたが、警察の指導で、堂外では褌着用が義務づけられている。

1 件のコメント:

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