2010年10月26日火曜日

奈良 東大寺・大仏殿で発見のKATANA、1250年も所在不明の宝剣

今頃、明治期に見つかっていた宝物の鑑定結果でたらしい。

明治時代に見つかった国宝・鎮壇具(ちんだんぐ)のうち2本の金銀荘大刀(きんぎんそうのたち)(ともに刃長約80センチ)が約1250年間、所在が確認されていなかった 正倉院 宝物の大刀「陽寶劔(ようのほうけん)」「陰寶劔(いんのほうけん)」だとわかり、東大寺と元興寺文化財研究所が25日、発表した。

陽寶劔、陰寶劔は聖武天皇 Emperor SHOUMU(701~756年)の遺愛品Relic items)で、妻の藤原氏から嫁いだ光明子光明皇后(701~760年)が献納した後、正倉院から持ち出され、“幻の宝剣”となっていた。
天皇皇后両陛下-Their [Imperial] Majesties Emperor and Empress

鎮壇具は1907~08年、大仏の右ひざ付近の須弥壇(しゅみだん)から出土した。金や銀で装飾された大刀6本や銀製小壺(しょうこ)など計19件ある。奈良・同研究所保存科学センターで、金銀荘大刀2本をX線で撮影したところ、刀身の根もとに「陽劔(ようのけん)」「陰劔(いんのけん)」と象眼された銘が確認された。刃の長さや把(つか)にサメ皮を使った点なども、正倉院宝物の目録「国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)」記載の陽寶劔、陰寶劔と一致した。

国家珍宝帳は、聖武天皇の遺愛品を756年、妻の光明皇后が東大寺大仏に献納し、正倉院に収めた宝物の目録。陽寶劔、陰寶劔は大刀100本の筆頭に記され、最重要の刀とされる。陰陽一対で万物の調和を願ったらしい。

陽寶劔、陰寶劔は、国家珍宝帳のうち、後に持ち出された「除物(じょもつ)」の付せんがある7点のうち2点。正倉院の「献物出用帳」には、光明皇后が亡くなる約半年前の759年12月に持ち出された記録が残る。「除物」扱いの宝物で、所在が特定されたのは初めて。

鎮壇具 CHINDANGU

寺院で堂塔を建設する際、土地の神を鎮めて安泰を願うために埋められた金銀、水晶、刀など。奈良県明日香村の飛鳥寺の塔(6世紀末)や奈良市の興福寺中金堂(8世紀前半)などで出土している。


大仏殿で発見の刀、1250年不明の正倉院宝物




昔のものなので、かなーり錆びていますね。


  
正倉院の宝剣、国家の平穏願い埋納か





記録されている、国家珍宝帳(除物と付箋がありますね)

聖武天皇の時代と思想
http://www.youtube.com/watch?v=Ze0CU4smB7I


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